快楽主義者『epicurean』目線☆

快楽主義者の目線で物事を伝えて見ようかなって思い 初Blog

〜 沼の中で藻掻き足掻いても沈んで行くしか無い人々 〜...04.

f:id:B-PROJECT:20160517194621j:image《 常識・法・固定観念 = 底無沼 》no.4


  今自分が置かれてる環境に限らず、仕事も人間関係も普通に熟して生活していれば、人生が激変する事も無い、自分の意思を持って行動してる人は 『変わるも何も、今これがベストで1番ええのんや、最高やろ!』と 自分の意思通りにして来たなら自信もあるしそうなる。
    ずぅ〜〜っと、このまま今が続くと思ってる人、どれだけそう思ったって時間は止まる事無く時を刻み続けてる。
    仕事や生活に精一杯で視野が自分の周りにしか無くて、時代の流れも、世界視点での価値観も、日本の変貌にも気付いて無く、ふと立ち止まり、ゆっくりと自分が辿って来た道を思い返してみたら。

   当時と現在では全然違う世界に変わってるのに、全く実感も違和感も何にも感じずに昔と同じ様に生きて来た、イヤ同じやないわ、今、気付いて見て考えると、当時に大事にしてた事を、今は蔑ろどころか見向きすらしてなかった。

    ○○の為に仕事を頑張る!と闘志を燃やしてたのに、自分の大切な○○があるからどんな事だって全て頑張れたのに、今は○○がなければと目を瞑る事もあったり、もう本当は要らないのに…と思ってしまってたり。

   大切な家族が喜び安心出来る家を買う為、なりふり構わずに頑張ってる事が嬉しくて楽しくて自分が誇らしくもあった。

   時が経てば、当時と変わらないのは、月々の支払金額だけで、当時は全部新品でいい匂いの家だった、今は、あちこちにガタも来てて、大切な家族が喜び安心する為の家が今現在は、ガタが来てる所が心配で、次地震がきたら怖いしとか潰れたらとか…過度ではあるけど、不安と心配の元になってしまってる。

   当時はマイホームとは、一生安泰を手に入れる為の絶対的な物としか思えてなかった。 時が、過ぎる…と… 
  時代の過中を進んでる時は 無数の常識や流行、を正しいと、捉えて行動してたし、法律なんて当たり前に厳守して来た。
   そう全て、時代が変われば、過去の常識なんてもう通用しないし、法律すら変わってる、体に良いからって食べていた物が、今となっては 『毒物扱いに』的な事は珍しい話でも無い。 f:id:B-PROJECT:20160526071334j:image

   法律を遵守し常識を何よりも大切にし続けた結果、知らぬ間に固定観念として脳にインストールされて行く。
   時代が大きく動く時は必ず大小問わず変化する 常識・法を何故ここまで国レベルで大事に大事に守る必要があるのか、本当に大事にして行かないといけない物事は、時代の変化如きで変わる様な腰の軽い物じゃなくて、ドシッと腰据えて何が起こっても変わらない物事を大事にして守って行く方が本筋。
  100歩譲って法には従わないと秩序や色々と問題やから従うとしても、誰も明確に説明すら出来ない、常識ってなんやねん!殆どの人々は固体観念の罠に国民は嵌っていく。

   知らず知らずの内に何が大事かどうかの優先順位がおかしくなってる事さえも気付かない、名前や中身が変わろうとも、その地位を不動の物に仕立てあげ続けてる誰かがいる限り。

  それは人じゃないかもしれないけど、確実にその意思を持った誰か? なにか? 宗教? 国自体⁉︎ それを超える物⁉︎ ?¿?¿
  まぁ考えても 全くわからへんけど………

何かの意思の元としか考えようが無いしのは事実で…………







過去の偉人の誰かの言葉で、嘘というのは、吐いた嘘が大きければ大きい程ばれない。って言葉を思い出した。  
これ嘘やったらデカイで…… デカすぎんやん…… f:id:B-PROJECT:20160517212839j:image

〜 沼の中を藻掻き足掻いても沈んでゆくしか無い人々 〜 ...01.

  f:id:B-PROJECT:20160526064355j:image 誤字脱字に乱筆乱文で読みにくいと思われます。しかし続けていけばその内にマシになると思いますのでその時まで、どうぞご許しくださいませ。
 
初めてBlogを書きました。 宜しくお願いします epicurean です。

  最近気になってしょうがない事があって…  今迄に1度も行った事の無い国や地方の事をTVや本などの情報によって知ってる国や知ってる場所に感じる⁉︎        脳の問題か⁈   
   何なら、行った事ある気がしてしまう。

   只々 TVにしてもどの媒体にしても、見せたい情報や解りやすい文化を浅く流す程度でしか無い訳で、・・・自分の目、鼻、耳、舌、肌、で感じて見て 歴史から現在に繋がる色々な出来事や文化のリアルを感じたい!    ふと思い出したけど今から、20数年前も殆んど同じ様な事考えてたわ。
   今年で40歳 仕事も遊びも総て人の倍、んー3倍はしてきたと思う。色んな経験を重ねたけど、昔と同じ感覚なんや! 成長してないと言う人もいるだろうけど、こんな自分を凄く気に入ってる!

  そんな頃に仕事ばっかりで、家庭を顧みれなかった事や多々とあって、離婚する事になった。その時に初めて自分の融通が聞か無い性格を知った。
  というのも、仕事は家族を守る為に始めてどんなに困難があっても、家族を守る為なら苦にすら思わなく色んな壁や試練をどう突破するか、普通に突破は当たり前やし、この突破の仕方だと、結果的に更に色んな物を手にしてる様な方法を考えるのが好きだったなぁ。 

    話しがズレてしまいました。 守る対象を無くしてしまうと、当然に守る為にしてた事もする理由を無くしてしまい、この辺りで決断した様に思う。 
    決断の内容は、仕事は総て譲り利害関係も無くし、その時の資産の総てを子供に、かなり重くなってた物を全て捨てて、旅に出ちゃおう!と言う決断をした。
  決断から実行迄に1年と少しも掛かってしまった、事業の引継ぎから色々と何から何まで、大変な1年やったけど、後悔の欠片も無く、ワクワクが止まらず……結婚よりも離婚の方が大変やでとは、聞いておりましたが、新たな発見しましたよ。  

   『 起業するよりも、引退の方がとんでもなく大変 』

辞めるの辞めたくなる程に邪魔くさかったです。
  そんな感じで、凄く忙しい身体だった世界から、全く何も無い完全自由な身体となりアテも作らずに、明日の予定も立てず、思い感じたがまま、出会い次第で行き先が決まっていく感じでふらふらと旅してます。

 そんな形での旅人 生活が3年続いてます。旅中に感じた事を書いていこうと思ってます。

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《 常識・法・固定観念 = 底無沼 》.1

 世の中には、こんなにも多くの(地球上で推定70億人)人間がいるみたいで、その70億人中に人生を心から楽しんで生きてる人ってどれ位の割合でいるんだろうか?


〜 沼の中で藻掻き足掻いても沈んで行くしか無い人々 〜...03.

f:id:B-PROJECT:20160505151917j:image                《 常識・法・固定観念=底無沼 》no.3
 

  今は、自分の息子もそうだが、このおもちゃはこの遊び、この遊びはこっちのおもちゃで、遊び方が決まってたりするし、どんな物もお金をだせば手に入る。

 アウトドアさえもそうで、アスレチックをするのに専門的な施設な行き、バーベキューをするのに手ぶらで総て用意してくれてる施設に行き体験する。

 手軽に便利で安全で簡単に出来る。時代と言えばそうなんだけど、オモチャにしても体験にしても、創造する楽しみの部分が無くなってしまってる。

 何か全く腑に落ちない、多くに当てはまると俺は思うんだけど、バーベキューの体験を例にして見ると
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自然の中でのバーベキューと体験バーベキューは同じ事のように思える。只々体験バーベキューの方が手軽で楽チンなので人気だ。

その気軽で楽チンな理由は、バーベキュー用品が全て揃ってる、テーブルに椅子 コンロから炭起こし場所に炭捨て場迄完備してる。

 席に座ったらもう赤くいこった炭が配られるし、メニューがあって肉か海鮮か選び、お得なセットとか迄あって注文すると、キチンと切断された肉や野菜が紙皿等に乗って持ってきてくれるのだ。

 当然にトイレもあるし売店だってある。何を言っても完全に手ぶらで来て手ぶらで帰れるのが、一番便利で人気な理由だと思う。

 本来ならその手軽で簡単じゃない部分が 大事であって、色んな事を知らぬ間に自然から学べ色んな事の基礎になる位に良い経験になる。ここがバーベキューの本質でもあると思う。そこを無くしてのバーベキューだと
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 安い肉屋の肉を素人が切りさばき、その肉を紙皿に乗せられて持ってこられて、座り心地最悪でガタガタしたテーブルで、小皿から総て紙皿で屋外なので、虫だらけで 値段は安く無いし下手すると高額の支払いになる。

 良い所など実は全く無い!   何故か流行ってる。本質の為にする行動が肝心で意味を成してる様な事柄は無数にある

 昔から名称や表立った事は変わらずに伝統や歴史も続いてる事柄は別物になってても疑う余地すら無い、が本来の本質は消え去り、たいして意味も持たない事を意味があると思わされてる。

 結果、真の意味を持つ物は消えて無くなり、たいした意味しか無い事を以前よりも大袈裟に大々的に時間もお金も使ってしてる現実。

 豊かで平和ボケしてる日本人には深く考える理由も意味も感じない様で歯止めも効きそうにない。気づいてからでは、もう取り返す事は出来ない物事が山ほどあるのに

考えれば考える程に色んな事由に当てはまる……





〜 沼の中で藻掻き足掻いても沈んで行くしか無い人々 〜...02.

f:id:B-PROJECT:20160505084718j:image《 常識・法・固定観念=底無沼 》no.2

  日本でもよく聞く国の大きな街は大体つまらなくて、俗にいうスラム的な場所が危険だけど、雰囲気も人も結構合うの
か、気に入って良く行ってた。
  
スラムは経済的な貧困ではあるが、都会や街の人々よりも人情も厚いし、楽しいし、何もなくとも皆で楽しもうとしてる。

やはり悪党的な奴も多いけど、その中でも目が生きてる奴が多くいる。都会や街では目が生きてる人より、目が死んでる人の方が多く、

俺の見方では、都会や街の人達よりも断然スラムの人の方が豊かに見える。 独断と偏見だけど目が生きてるかの判断基準は俺のさじ加減でしかない、

統計を取った訳でもなく、専門家に眼圧を計らせた訳でもなく、視力測れるアプリを皆にしてもらった訳でも無い、f:id:B-PROJECT:20160526070543j:image

目は口ほどにモノを言うし、実際に見て
感じて思った事。何も無い場所や生活し難い環境であっても、

生きた目の人達は、ゴミ箱の蓋はフリスビーにして無邪気な遊んだり、どんな物でも遊びを作り子供も大人もその時は本当に楽しそうに遊んでる。

何しか ゼロから1も2も10も作りだせる。自分が子供時代(30数年前)の頃も、こんな感じで友達と色んな遊びを作り遊んだなぁ。